於保多神社には御祭神を崇敬された所縁の方々による多くの石碑が建立されています。

社号於保多神社
明治百年記念 石井重光

旧社号標石縣社兼郷社於保多神社
明治35年 北島長三郎

戦没諸君之碑 明治11年8月建立
明治10年2月西南戦争(西南の役)がおこり、旧富山藩出身で、明治政府に従軍し戦没された方々がおられました。後に岡田信之(呉陽)の撰で、生還した人々により建立されました。冥福を祈り、諸兄姓名階級を銘記した県下唯一の碑であります。

石橋架設記念碑

前田正甫公時鐘彰徳碑
時鍾は江戸時代鋳造 彰徳碑は昭和28年建立。時鐘は、貞享3年(1686年)富山藩二代藩主前田正甫公が命じて作られたものです。

呉陽岡田先生之碑(岡田呉陽顕彰碑) 明治19年建立
文政8年生、小西家次男に生まれ、岡田栗園の養子となり、富山藩校(広徳館)を支え、私塾教育(学聚舎)に貢献した呉陽でした。多くの門人や友人によって呉陽の高徳を讃え建立されました。碑文は、昌平黌(しょうへいこう)同窓の藤野海南が選び、書は近代書道の祖と言われる日下部鳴鶴の手によります。

小西伯叔両先生遺徳碑(小西有實有義両先生顕彰碑) 昭和8年建立
小西有斐の長男有實、三男有義として生まれました。明和3年小西鳴鶴によって開設された私塾は、その子有斐に引き継がれ次第に寺子屋的な性格に変わりました。その後、有斐の子、有實・有義に引き継がれました。小西臨池居(江戸時代中期から明治時代 越中国の代表的な寺子屋)は人々から深い信頼と強い指示を受けていました。石碑は、門弟及び有志者により建立されました。碑文は師匠友人で日向の人安井朝康の撰であります。

聖廟法楽和歌碑 江戸時代建立
嘉永4年(1851年)「天満宮奉納詠歌」が刊行され、富山藩主前田利保公以下、富山藩士、その他の者達の和歌(1780首)が収録されました。菅公(菅原道真公)950年祭祀の折に奉納されたと思われます。境内の「聖廟法楽和歌碑」の歌碑はこの奉納歌碑と考えられています。

利保公の巻頭和歌

菅公一千年祭記念碑 明治35年建立

古池布賀波  官公御真筆謹写而 浄禅寺三十世青山淳意

和魂漢才 四心多久門見日流師範中田善次一千年祭建立

筆供養 宮田千代雄

天神真揚流 若林嘉倫・真先生碑 ・亮天功 昭和11年10月建立

神陰流剣術 前川楽龍斉先生 昭和4年8月建立 

社地拡張記念碑 昭和5年建立

天満宮 昭和58年10月建立

献灯 大乗妙典全部経石一字一釋 吉岡八兵衛 文化十三丙子年3月吉日 

⑱神社社務所へ通ずる道に架かる橋は維新によって廃城のさい富山城大手門の橋を移したもの