兼務神社について

千歳神社
住所:富山県富山市千歳町二丁目11-2
ご祭神:天照大神、豊受大神、誉田別之命
当神社は天照大神、豊受大神を祭神とし、富山の土地神として最も古い神明社であり、相殿には誉田別之命を祀っています。
天正9年(1581)佐々成政公が、越中五十四万石を領して富山城主となった時、敬神の念が篤かったので、この神明社を産土大神として崇め、 城下町富山を東西に二分し、東は北の神明、西は南の神明と称し、それぞれ富山の守護神としました。
当神社は北の神明にあたり、当時は蛯町の地に鎮座していましたが、富山藩祖前田利次公が入城後、 寛文年間城下の町割に際し現在地に移られました。
相殿は文化7年(1810)九代藩主前田利幹公が、東田地方(今の城北町)に八幡神社を創立し、鬼門除けの宮と称していましたが、 明治45年(1912)当社に相殿として合祀し、その際神徳の弥栄を寿いで、神明社を千歳神社と改称されたのであります。
千歳の称号は、十代藩主前田利保公が、嘉永2年(1849)東出丸(今の桜木町)に、 隠居所として千歳御殿を造りこれより神通川の下流奥田あたりまでを、千歳川と名付け、桜を植えて千歳桜と呼び、 富山の名所とした事に因んで称せられたものであります。
往時境内には欅を初め藤等、大樹老木鬱蒼と繁り、森厳清浄な神域を保ち、由緒深い神社であることを想わしめ、 近くには岩瀬に通う舟着場等もあり、富山東北の繁華街関門として賑わっていましたが、 昭和20年8月戦災によって社殿は勿論附近悉く焼失しました。
現在の本殿及び拝殿は平成2年氏子有志によって新しく再建されたものであります。

 

中舘神明社
住所:富山県富山市館出町二丁目9-1-2
ご祭神:天照皇大神、天手力男命
創立年代不詳。口碑によれば約410年前の天正年代初期織田信長が越後の国上杉謙信勢の侵攻に備えて新川郡太田の荘に「舘の城」を築き、これの出城として現在の館出地内に砦を造り守護神として祠を建て天照皇大神を祀ったのが起源と伝えられる。
天正8年(1580)-同13年の間に舘の出城の廃墟附近に民家三軒が移り住み此の辺一帯を「三軒野」と言い祠を御守りした。常願寺川の反乱により度々田畑が流出し大きな被害があった。天正年代の末、天手力男命を勧請合祀して水難除けと土地復興を祈願した。その後舘出地内は水難が全くないといい伝えられ神社の御加護によるものと深く信ぜられる。